===蓮 レン おっとこぬしよりNo.1===

人には自分が生きてきた計りがそれぞれにあると思う。 世間では、目線ともいいます。モノサシとも表現します。
考え方のくせや、人生のプロセス、評価の仕方など、 どこを視点に見て評価するか、どこを基準にプロセスが成り立つのか、さまざまだと思う。世の中で評価されているものは、全てが完璧で、出来上がってるもののようにおもわれがちだが、それはそれを作り出した人の10のうちの1つが最高であり、その1つが評価され、多くの人はそれを賞賛、勘違いをして全てがパーフェクトだと無意識に思い込んで、トップにあるでしょう。
そこで強要が生まれる。下をつくり、上に起ちたいたい無意識の願望の為に、たかが10分の1の作品を、自分も世間も100%だと思い、
「正しいもの」、「正しい考え」、「正しい方法」、「正しい道」
そのように自分の経験が100%正しいとおもいこむことで自分のモノサシの存在価値を計るのです。たかが10分1のパーフェクトなのに、完璧だからと思いこんで、完璧だから同じコピーを縦社会の下を作る為に求めるのです。
自分のやり方があるのになぁ…。 とか、自分流がなくなる。とか、ロボットじゃないとかそのように悩んだ方は沢山いてると思います。確かに【基本】は大切です。多分そのトップのものは、基本を伝えたいから、強要とは気付かないままに伝えるのでしょう。その人のことを思い、つたえるのでしょう。でもいつしか、見返りを求め、縦社会を無意識の内に周囲に作りたがるのです。
基本があるから個性が生まれる。基本にもとづき、自分のやり方で乗り切る。基本は学ばなければならないことで、まなばなければ、コピーすら作り出すことは難しい。だからやり切る。それはその人の個性的な手段だと思います。
個性はその人の目線から生まれた、実はモノサシなんです。その個性というモノサシはその人の努力や才能であり、決して他人には真似出来ません。なのにその自分のモノサシの中の評価の満点を求めるのです。この世の中には沢山のモノサシがあるんです。そのモノサシ達の目線の学びを盗み、自分の才能というモノサシを長く長くしていけばいいのです。
それぞれ違う評価のモノサシ達の強要じゃないアドバイスをもらって、大きくなればいいのです。一人一人に必ず生まれて来た意味がある必ず人は生きてく中にモノサシを人は作る。コピーじゃないものを他人も自分も作ることが、才能溢れた輝いた世界をつくれるのではないでしょうか



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